その独自性、革新性、そして真理性において最も傑出した教義・存在であり、
真っ先に、否、末法時における大乗仏教の結論として言及すべき
法華宗開祖日蓮を黙殺している。
章どころか項目の表題にすらその名を出さず、十把のごとく禅宗以下の扱いである。

特に『日本の』と題するからにはこれは絶対にありえない。
日本への仏教伝来は公式記録では538年とされるが諸経典が揃うのは奈良時代。
聖徳太子が『三経義疏』で着目した三種の経典のひとつが法華経である。
平安初期には伝教大師最澄が天台法華宗を樹立。
比叡山が大乗仏教の一大道場となる。
以降、祖師と称される現日本佛教界の僧たちはこぞって比叡山で学んだ。
道元禅師も著作にて法華経の重要性に関して言及しているし、
『般若心経』とともに多くの宗教者が用いることの少なくない『観音経』は
『法華経』こと『妙法蓮華経』の第二十五(章)である。

比叡山学僧の中でも親鸞と日蓮は釋尊の伝統を受け継ぎながら末法・日本を強く意識した独自性を発揮した。
この時代に廣宣流布した教えが「鎌倉新仏教」とか「日本佛教」と言われる所以である。
つまり『佛教』とか『宗教』ではなく、『日本の佛教』という時には、
その確立性の観点から、この二人がまず核となるべきなのである。
(それは在家信徒数の上からも明白)

その二人のうち、親鸞(浄土宗・真宗)には大きく紙面を割いておきながら
日蓮(日蓮宗)はまったくの黙殺である。
片手落ちというより、意図的なものを感じる。大謗法の書と断ぜざるを得ない。
(edge 2013年02月13日) from Amazon Review

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